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観光圏について

吉野大峯・高野観光圏とは

吉野大峯・高野観光圏は、ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている、修験道の中心地・「吉野・大峯」と、弘法大師空海が開いた真言密教の聖地「高野山」という二つの霊場を核とした、山岳信仰や巡礼の文化を今に受け継ぐエリアです。
吉野町・黒滝村・天川村・高野町・野迫川村・五條市の6地域にまたがっています。

弘法大師空海をはじめ、多くの巡礼者が往来

役行者により開かれた大峯山は、理源大師により入峰修行が再興され、江戸時代中期に最盛期を迎えました。弘法大師空海も若き日に吉野と高野を往来したとされ、その道中には今も多くの伝承が残されています。
毎年6月7日~9日に行われる「三宝院門跡花供入峯」は、京都・醍醐寺三宝院門跡が全国から集まった300名を超える修験者を率い、大峯山に蓮華を供える行事です。

明治の廃仏毀釈により一時途絶えましたが、明治33年(1900年)に再興され、現在まで毎年行われています。
洞川温泉街では、門跡一行を地元住民や子どもたちが「ようおまいり」と迎える風景が受け継がれています。

巡礼の歴史について

高野山と大峯山山上ケ岳の二大聖地をつなぐ大峯高野街道(すずかけの道)は、昭和の初め頃までは白衣を着た巡礼者が多く行き交い、街道沿いの集落には宿場や茶屋が何ヶ所も存在していました。その様子は、古くは弘化3年(1846年)の旅の一行が記した道中記が残されています。

また、民俗学者・宮本常一氏の昭和11年(1936年)~昭和14年(1939年)の5回にわたる吉野西奥地方の民俗採訪録「吉野西奥民俗採訪録」では、天川村広瀬地区にあった梅山旅館には、一日で多いときは300~500人が宿泊したという記述があり、当時を知る人によると、1日に1000人以上の行者が通ったという記録も残されています。

明治初年頃の宿帳には、吉野山~大峯山~高野山の宿が記されている(一新講社定宿帳)

天河大辨財天社
洞川温泉街・大峯山・吉野山
天狗木峠
高野山
天川村~五條市大塔の集落・旧街道風

巡礼の歴史について

高野山と大峯山山上ケ岳の二大聖地をつなぐ大峯高野街道(すずかけの道)は、昭和の初め頃までは白衣を着た巡礼者が多く行き交い、街道沿いの集落には宿場や茶屋が何ヶ所も存在していました。その様子は、古くは弘化3年(1846年)の旅の一行が記した道中記が残されています。

また、民俗学者・宮本常一氏の昭和11年(1936年)~昭和14年(1939年)の5回にわたる吉野西奥地方の民俗採訪録「吉野西奥民俗採訪録」では、天川村広瀬地区にあった梅山旅館には、一日で多いときは300~500人が宿泊したという記述があり、当時を知る人によると、1日に1000人以上の行者が通ったという記録も残されています。

明治初年頃の宿帳には、吉野山~大峯山~高野山の宿が記されている(一新講社定宿帳)

吉野大峯・高野山エリアを巡る

すずかけの道

霊場「吉野・大峯」と「高野山」という聖地をつなぐ吉野大峯・高野観光圏エリアは、1300年以上にわたり、信仰の聖地として多くの人々を迎え入れてきました。街道沿いには、日本三大弁財天の一つである天河大辨財天社や、弘法大師の伝承のほか、地蔵や道標も各所に残されており、古くから修行僧や巡礼者が参拝のために行き交った足跡が残されています。

不動滝
栃尾観音堂
街道沿いに残される 数々の道標

また、長い歴史のなかで、山間部ならではの文化や暮らしなど、地域ごとに異なる多様な風景が育まれてきました。春は吉野山の桜をはじめとする花や新緑、夏は涼しい気候と清流、秋は寺社仏閣を彩る紅葉、冬は雪と静寂に包まれる風景と、四季折々の表情を楽しむことができます。近年では、歴史や自然に惹かれて移り住んだ人々による小さな店やゲストハウスも点在し、静かに新しい魅力が加わりつつあります。吉野・大峯や高野山での聖地巡礼にとどまらず、古い街並みや集落を味わう、山里の営みや暮らしに触れる、秘湯に浸かる、地域ならではの食を楽しむほか、近畿地方屈指の山々でのトレッキングや川遊びなど、多彩な過ごし方ができるエリアです。吉野大峯・高野エリアを巡り、日常から少し距離を置き、四季の移ろいを感じながら、ゆったりとした時間を過ごしてみてください。

MOVIE

祈りの聖地 吉野大峯・高野

吉野・大峯・高野山巡礼
1200年の聖なる歴史

リーフレットのダウンロード

吉野大峯高野観光圏
リーフレット

(英語版)